解 説
20人におよぶ関係者の証言により、
4年半で消え去った「幻の大学」の真実が、今 明らかに――
現在も「幻の大学」として語り伝えられる鎌倉アカデミア。「新しい日本を担う若者を育成する」という理念のもと、終戦間もない1946年(昭和21年)5月、戦火を免れた鎌倉・材木座の光明寺を仮校舎として開校した。
校長の三枝博音をはじめ、林達夫、服部之總、吉野秀雄、高見順、中村光夫、村山知義など数多くの著名な学者・文化人が教鞭を執り、「教師と学生とが相互に鍛え合い、各自の個性を創造する学園」を目指したが、激動する時代の波に翻弄され、わずか4年半でその歴史に幕を下ろしてしまう。しかしその学び舎からは、いずみたく、山口瞳、前田武彦、高松英郎、沼田陽一、廣澤榮といった多彩な人材が巣立ち、やがて彼らは、高度成長時代を迎えた日本で、芸術や文化を牽引する存在となっていった。
鎌倉アカデミアはいかにして生まれ、いかにして滅び去ったのか。そしてその精神は、現在どのように生き続けているのか? 20人におよぶ関係者の証言と再現映像、歴史的資料などから、自由大学・鎌倉アカデミアの真実の姿が今、明らかになる。監督は『火星のわが家』『影たちの祭り』の大嶋拓。学園存続のため、最後まで三枝校長とともに奔走した演劇科教授・青江舜二郎の長男である。
あらすじ
2006年5月。鎌倉アカデミアの創立60周年記念祭が材木座・光明寺で開かれた。真冬のような冷たい雨の日にも関わらず、本堂には入れないくらいの聴衆が訪れ、わずか4年半で消え去ったこの幻の大学への関心の高さがうかがわれた。そして、当時70代だったOBたちは、かつての学び舎で、その自由な校風や教授との濃密な交歓の日々を、時を忘れて熱く語るのだった。
そんな衰えぬ情熱に吸い寄せられるかのように、鎌倉アカデミアの歴史を、かつての学生たちの証言からひも解くという作業が始まっていく。すでに故人になった者も多く、聞き取りにはさまざまな困難がともなうが、足かけ10年の歳月をかけ、20人を超す関係者のインタビュー映像が集められた。その中には、先般他界した映画監督の鈴木清順、90歳を迎えて『昭和声優列伝』を上梓した声優・勝田久などの貴重な証言も含まれている。
ある者は自宅で、ある者はゆかりの場所で、往事をまさに現在のことのように鮮やかに語っていく。鎌倉に学園が誕生した経緯、創立からわずか3ヵ月で起きた初代校長排斥事件、4,000人が詰めかけた日劇小劇場での研究発表公演、光明寺から廃墟のような「大船」校舎への移転、そして資金難と風評被害による閉校…。70年前の「自由大学」興亡の歴史は、今日のわれわれに、何を教えてくれるのか?
クレジット
鎌倉アカデミア 青の時代 ある自由大学の記録 [2016年/日本/HD/119分/ドキュメンタリー]
構成・撮影・編集・監督:大嶋 拓 再現映像撮影:石田 直 宣伝デザイン:秋山京子
資料提供:鎌倉市中央図書館 近代史資料室
参考文献:高瀬善夫「鎌倉アカデミア断章 ―野散の大学」毎日新聞社
前川清治「鎌倉アカデミア ―三枝博音と若きかもめたち」サイマル出版会
前川清治「三枝博音と鎌倉アカデミア ―学問と教育の理想を求めて」中公新書
廣澤 榮「わが青春の鎌倉アカデミア」岩波書店同時代ライブラリー
「青春・鎌倉アカデミア 鎌倉近代史資料第十二集」鎌倉市教育委員会・鎌倉市中央図書館
「『鎌倉アカデミア』落穂集」鎌倉アカデミア創立60周年記念祭実行委員会
特別協力:鎌倉アカデミアを伝える会 鎌倉アカデミア創立70周年記念祭実行委員会
製作・配給:「鎌倉アカデミア 青の時代」製作委員会